ー私のフォトアルバムよりー
 

海軍局地戦闘機 川西N1K2-J紫電21型「紫電改」

ここに掲載する写真は1996年8月12日に私がアリゾナのチャンプリン・ファイター・ミュ
ージアムで撮影したものです。この紫電改はNASMの所有(NASM83-8082-38)ですが当博物
館が復元技術を見込まれて復元を依頼されたものです。完成後しばらくここに貸し出し展示さ
れています。NASMが外部に復元を依頼するのは初めてのことでプライベートのチャンプリン・
ファイターミュージアムとしては大変誇りに思っている様です。復元されたこの紫電改はその
光栄に恥じない素晴しい出来栄えでした。
 

 
 Azusa Ono, Copyright (C) 1997
 
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海軍一式陸上攻撃機 三菱 G4M3

国立航空宇宙博物館の所有する一式陸攻の操縦席より前の胴体部分。残念なことに機体は写真
の機体前部と尾部銃座の風防部分だけ残し廃棄されてしまった。しかしながら爆撃手席及び操
縦席内部は塗装を含めオリジナルの状態で残されており貴重。22型以降の特徴あるガラス部分
を増やした機首だが、記録にはG4M334型とある。写真は1990年メリーランド州にあるポー
ルガーバー施設で撮影。
 
一式陸攻後期型のキットといえば以前リンドバーグの22型モドキがあったのみ。(オールド
キットファンとしてそれなりの魅力を感じるが)最近ハセガワから一連の後期型が出されたの
で喜んでいる向きも多いと思う。前作11型に付いてきた「桜花」の行き場が25年目にして同
社より発売になったとも言える。

 Azusa Ono, Copyright (C) 1997 
 
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海軍特殊攻撃機「晴嵐」 愛知 M6A1

同じく国立航空宇宙博物館の所有する晴嵐。1990年ポールガーバー施設で復元中を撮影。
外部塗装を剥がされた状態で日本機独特の赤いプライマーが露出している。昇降舵やフロー
トに濃緑色、ラジエーターカバーに下面色の一部が残っている。主翼付け根にステンシルで
「射出反跳止」とある。発動機は液冷Vー12「熱田」32型。
 
タミヤから1/48「晴嵐」の発売が発売され、日本機ファンとしては
嬉しいかぎりです。タミヤさんもやはりこの機体を調査したんでしょうね。
 
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Azusa Ono, Copyright (C) 1997
 
【注】雑想ノート「謎の水上機色」を参照してください。

海軍零式艦上戦闘機22型 三菱A6M3

ここに掲載した写真はどれも残骸の状態だが、先頃飛行可能な状態にまでロシアで復元され
カリフォルニアに帰ってきたあの零戦22型だ。航空雑誌でのレポートを見られた方も多い
と思う。当初終戦50周年に日本での飛行を行う計画だった。写真は1992年1月カリフ
ォルニア州サンタモニカにある"MUSEUM OF FLAYING"に南方より運び込まれた直後の撮影。
複数の残骸が混じっているが資料として貴重なのは各所に残るオリジナルの塗装。なかでも
眼を見張るのは翼下面の灰色と鮮やかな日の丸。とても50年もの間ジャングルに放置され
ていたとは思えない。防蝕透明塗料【注】も残っており脚引き込み部分がグリーン、操縦室
内部にブルーが確認できる。
 
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Azusa Ono, Copyright (C) 1997
 
【注】雑想ノート「青竹色」を参照してください。

海軍零式艦上戦闘機62型 中島製A6M7
(当初63型と記述したものを新資料に基づき62型と訂正しました。)

サンディエゴ航空宇宙博物館に展示されている零戦62型。これも国立航空宇宙博物館の所有する
機体だが近年サンディエゴ航空宇宙博物館ボランティアグループの手にによって復元された。ポー
ルガーバー施設の復元に比べると多少荒さのあるもののペンシルベニアのウィローグローブ基地に
展示されていた頃を思えば見事に復元され喜ばしい。「天山」「強風」と共に雨ざらしになってい
た当時の写真を見ると塗装は剥がされスピナーもなく主翼の機銃の代りに鉄パイプが溶接されると
いうひどい状態だった。63型に装備予定だった水メタノール噴射装置はついぞ装備されなかった
ため62型として量産された中島製の一機。製造番号は23186号。52型丙よりとりつけられた半
埋め込み式胴体250kg爆弾/増槽懸吊具が見える。胴体後部燃料タンク整備用の採光ハッチが見える
がこの後部胴体燃料タンクも計画のみで装備されることはなかった。マーキングは元の横須賀航空
隊所属「ヨー143」となっている。
 
 
 
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Azusa Ono, Copyright (C) 1998 

海軍零式艦上戦闘機52丙型 中島製A6M5c
(当初63型と記述したものを新資料に基づき52丙型と訂正しました。)

日本国内の現存機。かつて京都嵐山美術館に展示されていた零戦52丙型。1978年琵琶湖
から引き上げられたこの零戦は後期量産型にまつわる多くの謎を明らかにした最初の機体。
その後に復元されたサンディエゴの同型機は復元の質は高いものの、オリジナル度では同
機に一歩譲る。嵐山に復元展示された後も暫く水没した当時の詳しい状況は不明だったが、
その後NHKの調査で搭乗員は健在であることが分かり当時の状況が判明した。(NHKはこの
番組を製作放送したそうです。)終戦間近に明治基地から訓練のため飛び立った同機は、
発動機不調のため琵琶湖に不時着水。搭乗員は自力で岸まで泳ぎ着き、部隊に報告の後、
電車で基地まで帰ったそうです。その後間もない終戦でとうとう引き上げ作業は行われな
かった。零戦発見当時、この元塔乗員の方はシアトルの日本領事館で働いておられ、この
ニュースを聞き密かに帰国、人知れず愛機と再会を果たしていたそうです。嵐山美術館閉
鎖後しばらくは展示の場を失ったが、近年再び和歌山県白浜で一般公開されている。同機
は中島製で,製造番号は第82729号。塗装は上面色、下面色とも大戦末期の非常に暗い色を
忠実に再現している。プロペラの黒は間違い。1983年撮影。
 
 
 
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Azusa Ono, Copyright (C) 1998