オレンジイエローの雷電

以前このコラムにも書きました「毎日グラフ別冊日本40年前」中にある厚木基地の残骸のカラー写真を眺めていてオレンジ色の雷電操縦席部分を発見しました。終戦時にまだオレンジのままあったのが意外でしたが、特にJ2の試作機は一部のみオレンジだったのでなおさらでした。碇義朗氏の著書「迎撃戦闘機・雷電」にこうあります。〜機体の塗装の打ち合わせでは、J2M1 1号機と4号機、J2M2 1号機が研磨、J2M1 2号機と5号機、J2M2 2号機がパテで隙間を埋めて塗装(色?)、J2M1 3号機と6,7,8号機、J2M2 3号機以降が零戦と同じ灰色塗装となっており、かならずしもJ2試作機の全機が、試作機を示すオレンジイエロ−塗装ではなかったようだ。〜とすると写真の残骸はパテで隙間を埋めた機体のひとつでしょうか。この記述からも軍、メーカーとも塗装選択の枠は広く、さほど厳格ではなかったことが伺えます。当然零戦の初期塗装(仮称:飴色)は三菱の他機へも転用されていたことでしょう。百式司偵の残骸からも最近あらたな零戦色として浮上してきたこの緑褐色系が確認されているようです。以前よりよく発表されるJ2試作6号機の写真は灰色かな?と思っていましたが、この本の記述から確認出来ました。同じ写真にもうひとつハデな残骸が写っています。97艦攻の胴体部分で、これは銀色塗装に太い赤帯が胴体に走っていて昭和15年から17年まで使用されていた第三航空戦隊の帯と同じものなのです。終戦時にもけっこう様々な機体が残されていたようです。BROKEN WING OF SAMURAIにも銀塗装の96艦戦が教材用なのか終戦時の厚木で撮影されていました。

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